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Artist

ARSENIO RODRIGUEZ Y SU CONJUNTO

Title

OYE COMO DICE...



Japanese Title 国内未発売
Date 1940-1948
Label CUBANACAN CUCD1703(Puerto Rico)
CD Release 1997
Rating ★★★★★
Availability ◆◆◆


Review

 97年にはじめて日の目を見た初期の未発表音源集。アルセニオのコンフントがキューバで活動した期間は、事実上10年程度ときわめて短く、しかもこれまで発売された音源は大戦後の46年以降のものに集中していたことから、コンフントがデビューした1940年から43年までの音源を多数収録した本盤は、キューバ音楽の歴史に新たな1ページを加えたといっても過言ではない。

 録音状態がよくないが、演奏密度はおそろしく濃い。スペイン語をまったく解さないため確信はないが、40年の'EL PIRULERO NO VUELVE MAS''YO 'TA NAMOR'の2曲はコンフントとしてのデビュー曲。前者は、カシーノ・デ・ラ・プラーヤに楽曲提供した'SE VA EL CARAMELERO'が原曲(HARLEQUIN HQ CD 51、またはTUMBAO TCD-037に収録)。はじめて複数のトランペットを入れてサウンドに厚みを持たせたとされるアルセニオだが、ここではまだ1本のように聞こえるのだが、アルセニオのトレスをはじめ、ピアノ、トランペットほかのリズム・セクションは申し分のない完成度の高さ。
 アフロという様式で演奏される'YO 'TA NAMORA'も、30年代終わりにカシーノ・デ・ラ・プラーヤに提供した楽曲(HARLEQUIN HQ CD 39に収録)。また、41年録音の'TODOS SEGUIMOS LA CONGA'は、アフロ的な泥臭いパーカッションを前面にフィーチャーしたコンガ(ソンと同じく音楽の様式)。41年の時点でこれほどまでに熱くファンキーなポピュラー・ミュージックをつくっていたのは、世界広しといえどもアルセニオを除いてほかにあるまい。

 ところで、50年代に世界中を熱狂させたマンボの生みの親はだれかについて、いまも決着をみていないが、37年にアルセニオが作曲した「ソ・カバージョ」のリズムを、はじめ“ディアブロ”と名づけ、のちにマンボと改称したとする説がある。「ソ・カバージョ」がどんな曲であったかいまだあきらかではないが、本盤に収録されたソン・モントゥーノ'EL PARO TIENE CURUJEY''NO HAY YAYA SIN GUAYACAN''DAME UN BESITO'こそ、その“ディアブロ”なのだと解説にあるが、不勉強なわたしの耳には、いかにもアルセニオらしい堂々たるソン・モントゥーノにしか聞こえない。これらの録音年はあきらかでないが、キューバ最高のソネーロのひとりであるミゲリート・クニーらしき歌声が聞かれることから、1942年ではないかと推測している。

 アルセニオといえば、黒人系の伝統音楽に根ざした濃厚でズシリと重心が効いたソン・モントゥーノのイメージだが、意外なことに、本盤には全20曲中、上記の3曲しか収められていない。反面、ボレーロとその変型であるボレーロ・ソン形式の曲が11曲と半分以上をしめている。

 ソン・モントゥーノとは、簡単にいえば、アフリカ起源の音楽とスペイン起源の音楽が融合して生まれたソンの、アフリカ的要素を濃くしてダンサブルにしたもの。ソンの後半部分に演奏されるソロとコーラスの掛け合い、いわゆるコール・アンド・リスポンス、これをモントゥーノという。
 たいするに、ボレーロとは、ラヴェルで知られる4分の3拍子のスペイン舞曲ではなくて、キューバ起源のバラードのこと。つづりは同じBOLEROだが、こうした混乱を避けるため、現在は一般に「ボレーロ」と表記されることが多い。ボレーロ・ソンは、ミゲール・マタモロスが編み出したとされているが、前半部はしっとりとしたバラード調にはじまり、後半部はコール・アンド・レスポンスで盛り上げればそういう名称になってしまうので、だれが編み出したのでもなく、たまたまミゲールが得意としていたからこういわれるようになったのではないか。アルセニオのボレーロ・ソンは、ミゲールよりはるかにリズミカルなソンの部分が強調されているように聞こえる。
 余談だが、故・黛敏郎が『題名のない音楽会』で、五木ひろしの「愛しつづけるボレロ」はボレロではないと憤慨していたが、日本版のボレーロととればあながちまちがっていないことになる。

 しかし、'LA VIDA ES UN SUENO'TUMBAO TCD-031Pヴァイン PCD-1402オーディブックAB114に収録)という大名曲があるように、アルセニオは純粋にボレーロをつくらせても、また演奏させても超一流であった。本盤でも'POR TU BIEN''QU SUSTO'ほかボレーロの名唱を十分に堪能できる。

 以上のように、本盤には飛ばして聴けるような曲は1曲たりともない。聴けば聴くほどジワジワと味が出てくる粒ぞろいの名演ばかり。惜しむらくは、大戦前のアルセニオのコンフントはメンバーの入れ替わりが激しかったようなので、録音年とパーソナルをはっきり示したうえで、録音順に収録してもらいたかった。最初の1枚としてはかならずしもおすすめできないが、アルセニオ・ファンならマストのアイテムだ。


(9.4.01)

※追記
 アメリカ移住後の53年におこなっためずらしい自作曲のメドレー・セッションの1つに'CUMAYE / SEMILLA DE CANA BARAVA SO CABALLO'というタイトルの曲がある。
 'SEMILLA DE CANA BARAVA'は、TCD-031などに収録されているリリー・マルティネスの手になるキューバ時代のアルセニオ楽団の代表的なソン・モントゥーノであるが、このメドレーでは後半部に曲調がガラッと変わってアップテンポになる。そして、最後のモントゥーノ部分で、ヴォーカルが'SO CABALLO'を連呼しながら、トランペットと熱いヴァース交換をおこないながら曲が終わる。これはあきらかにリリーの作品とは別の曲と思われ、これこそまぼろしの「ソ・カバージョ」ではないだろうか?
 残念ながら、マンボ誕生後の録音であることから、仮にこれが「ソ・カバージョ」だったとしても、マンボ第1号の証拠にはならない。ちなみにこのメドレーは、TCD-017で聴くことができる。


(7.13.02)




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by Tatsushi Tsukahara